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インタビュー

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箕面YEG Report【WEB】みのお市民ツリーインタビュー

「箕面の冬の風物詩を作りたい !」
~みのお市民ツリーへの想い~

 箕面商工会議所青年部(以下、箕面YEG)には様々な事業の歴史があります。 その中でも17年間、箕面の冬の風物詩として取り組んできた事業が「みのお市民ツリー」。 今回、本事業を始めたきっかけ、またそこに込めた思いなどを、箕面YEGの元会長、そして発起人として事業立ち上げに奔走された神代繁近さんにお話しを伺いました。

-ツリー事業はいつ始まったのでしょうか?

 神代:1996年、平成元年です 

-ツリー事業をやろうとしたキッカケを教えてください。

 1986年4月に箕面商工会が箕面商工会議所になりました。同時に商工会青年部も商工会議所青年部に昇格。青年部は昔から活発に活動していたらしいのですが、その頃は活動が出来ていなくて。親会からの活動費が溜まっていて問題になっていて、青年部を潰すかしっかり活動するか、して欲しいと言われました。
当時、別の集まりで「箕面まちづくり倶楽部」という会を作っていて、箕面青年会議所の若手と市役所の若手10人くらいでご飯食べながら、何か面白い事をしたいとか色々な話をしている中にツリーの話も出ていました。
ミニカーのクレーンを使って「箕面に、クレーンで吊り下げた大きいツリーを立てたい、でもお金がかなりかかるから難しいね」という話もしていたので、このお金を使ったら実現できるんじゃないかと。
これが最初のキッカケです。
活動再開の最初の事業として、みのお市民ツリーをしようということになりました。
私達が住む箕面市は、春は新緑、夏は避暑、秋は紅葉があるけれど、冬には目玉がない。そこで冬の風物詩を作ろうと考えました。
当時ウォーターフロントはよそがすでにやっていたので、スカイフロントをやろうと。箕面には自然というこんなに良い財産があるのに、活かしきれてないと感じていたので山にツリーを立てよう!と思い立ったんです。「ギネスにも挑戦しよう」とかもやっていて、新聞の記事にもなりました。
当時はYEGだけでもお金は足りたのですが、YEGの単独事業ではなく、「みのお市民ツリー」として市民の皆様と共有しようと考えました。
電球を一個500円で購入して頂くという形で寄付をいただいて、領収書の代わりに「みのお大好きパスポート」というイベントに参加できるチケットを配布しました。ニュージーランドフェアーや人間カーリング、ウルトラクイズなどのイベントを、当時あったスケート場で開催しました。1等の景品が東京ディズニーランドのペア招待状など、豪華で結構盛り上がっていました。

-ツリー事業1回目のエピソードを教えてください。

神代:初めての時は1週間前に試験点灯をしました。正直どんな感じになるんだろうと不安でしたが、とても綺麗でこれはイケると感じました。ただ、当時は午前0時まで灯りを点けていたら暴走族が来るかもしれないので、メンバーが泊り込みをしなければならず、寒い中大変だったのも、良い思い出です。 ツリーを立てる50mの高さのクレーンがかなり大きくて、クレーンを設置するバーベキュー場に「そんなごついクレーン入ったら下のアスファルト穴あきますよ」と言われてしまいました。 それで、一枚一枚鉄板を敷いた上にクレーンを通して、その鉄板をまた一枚一枚違うクレーンでぶらさげて、移動させて次、と…。 朝から準備して、撤収時には朝の5時までかかりました(笑)

-ツリー事業はその後、同変遷していったのですか

 神代:ツリーの点灯に関しては12月23日、24日、25日の午前0時までというのが3年間続いて、1999年、2000年は2週間点灯しました。
2000年はミレニアム、世紀が変わるということで、それぞれ2000年、2001年の電飾もつけました。
またテレビ局から取材を受けたときは23日の生放送中に点灯式をして欲しいと言われて、5時58分に終わるワイドショーの放送時間に合わせて、5時30分に点灯式をした年もありました。
そして当初からツリーを設置していたスケート場がゴルフ練習場になるということで2007年を最後に、場所が変更になりました。
2008年は箕面駅の旧ロータリーの噴水で5mくらいのやぐらにツリーを立てました
しかし、多くの市民の皆様から見える所が良いだろうということで、2009年から4年間はトンネルの入り口でツリー事業イベントを行いました。

-17回継続的に実施されましたが、どのような形で市民の皆様のご協力をいただくことができたのでしょうか

 神代:先ほども述べた「みのお大好きパスポート」という形で、ご協力いただきました。
市民の方に電球を購入して頂き、名刺サイズの「みのお大好きパスポート」を発行しました。ツリーの設置だけでなくイベント開催にも費用がかかります。
親会の補助だけでなく、市民の皆様にも協力してもらおうと思い、協賛金集めを始めました。
一番最初はツリーがどんなものなのか、写真も見せれないし自分たちも不安でした。協賛金集めの説明はとても大変でしたが、自分達の企業が中心になって、お世話になっている人達に話をきいていただき、とりあえず1回目を見てもらいました。
その結果、次の年からは快く協賛金を出して頂けました。
イベントには箕面自由学園のチアリーダーに来てもらっていました。12月の寒い日にミニスカートでよくやってくれたなと思います。
市吹はずっと来てくれていました。

-50mあったツリーはどの辺りまで見えていましたか

 神代:万博公園の観覧車に乗っていたカップルが「なんか箕面の山が光ってる!」ってモノレールに乗って見に来てくれました。
先ほど言っていたウルトラクイズのイベントで東京ディズニーランドの招待券をゲットしたのがその二人。とても印象に残ってます。

-ありがとうございました。最後に一言エールを頂けますでしょうか?

神代:YEGとしての活動の目的は豊かな住みよい郷土づくり。そのための題材として、ツリーではなくてもYEGとしてどういう町にしたいかという議論が必要だと思います。ツリー事業をやったのも、自分達の財産である箕面の山・自然に春夏秋冬来てもらおうと考えてやった。そのような発想で自由に考えて頑張ってください。

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箕面YEG Report【WEB】お化け屋敷インタビュー

「胸がときめくイベントを」

箕面まつりの人気イベント「お化け屋敷」は、箕面YEGの事業として始まり2019年で22回を迎えます。

今回、本事業を始めたきっかけ、またそこに込めた思いなど、発起人の一人である神代繁近さんに伺いました。

-お化け屋敷を始められたキッカケを教えてください。

神代:ロングロングパット大会、射的やサイコロなどの、ありきたりの事を何回かやるうちに「こんなことで胸がときめくか?」という話になりました。

他に何か胸ときめく事をしたいと考えていた時、たまたま行った天保山の夏限定のお化け屋敷がむちゃくちゃ面白くて。暗幕から、人間が演じるお化けが出て来る…、絶対怖いな!と考えて、これをやろうとなりました。

何十年も、今もずっと使っているこの手帳(手帳を取り出す)、今も当時のお化け屋敷のことを残しています。

メイプルホール、必要なもの、やること、電源、音響、予算、それから、お化け屋敷の地図も。

場所はリハーサル室を使わせてもらおうと、交渉もしました。

YEG事業は、単なるイベントではなく、宣言・指針・綱領に基づく目的を持って行われていますが、この事業はどのような目的をもって行われたのでしょうか。

 神代:目的は2つです。

1つ目は子供たちが対象で、普通の出店ではなく面白くてみんながワクワクできる、ときめくような面白いことをやろう!ということ。

2つ目は、会員交流。人を驚かせたりすることは癖になるし、会員交流事業にもなる。

 

-お化け屋敷までは、何か他の事業を行っていましたか?

 神代:箕面まつりは第1回目から商工会議所中心で行っていました。

当時は公園の北側に川があり、魚のつかみ取り大会を開催していましたが、その後YEGが引き継いで、出店をしていました。龍安寺の境内広場で夜店を出したり、スパーガーデンの駐車場でも、何年か漫才師を呼ぶなどのイベントをやっていました。

-お化け屋敷の思い出やエピソードは何かありますか?

 

神代:最初の年の木枠、暗幕、備品の製作したことが印象に残っています。

最初は全部手作りで、お墓とか、一生懸命作りました。

とにかくもう全部手作り。

 

-そのお墓、今でも使わせてもらっています

看板も、うちの店で仕事中に手作りしていました。

お客さんの数も読めなくて、500人くらいきてくれたいいかなと考えていたのが23年で1000人を超え、何回も子供たちが来てくれました。それから22年。

すごいよな!

-お化け屋敷を継続されてきましたが、それはどのような目的からですか?

また、改善された点はありますか?

 

神代:継続は力と言いますが、根付いて青年部の代名詞にもなってきているのでお化け屋敷を続けていこうと思いました。

大きな事故やトラブルもなく、毎年色々なアイデアが出てきています。

動員数の増加に伴って出入り口を変更したり、毎年進化してきました。

     

-最後に、先輩の立場から、今年のお化け屋敷へのエールをお願いいたします。

 

神代:とにかく子供たちが喜んでいる姿がやりがいになると思います。もちろんそのための企画ですから。

毎回グレードを上げて、「今年もやってくれよ!!」という気持ちです。